ハンドルネーム 「アパッチ」 |
なぜ、アパッチなんだろうとよく考えますがイメージとしてはインディアンとかを思い浮かべられると思います。
確かに自分はなぜか昔から西部劇がすきである。 しかもクリントイーストウッド演じるもマカロニウエスタンが好きです。その中で苛められてる?インディアンに味方するのであります。 好きな映画は「ラストオブモヒカン」です。
まあそれだけではなく仕事柄コンピュータのWEBシステムがAPACHEなのでそこからもきていると思います。
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生まれ |
1959年生まれ
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出身・住所 |
群馬県南部、(埼玉隣)に生まれ東京4年、埼玉20年住んで子供の中学進学で実家(群馬)に戻る。
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家族 |
妻1人、子供・男の子2人(高2、小5)
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仕事関係 |
埼玉県のさいたま市にある会社でシステム開発をしています。 その関係で東京、埼玉と関東圏を飛び回っています
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趣味 |
バイクツーリング(もちろん)
フライフィッシング、渓流釣リ、沢登り、キャンプ、音楽(ギター)
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バイク歴 |
16歳で自動二輪の免許を取らせてもらい、自分もバイクに乗っていた理解のある父親?に、当時発売したてのXL125を購入してもらう。
免許は普通二輪で大型も乗れる予定でいましたがなんと改正が10月で誕生日が11月なのできた免許はなんと中型二輪になってしまいました。 同級生はみんな大型なのにショックでした。 確かその年は4月にはヘルメットの義務化になり、一番バイクに対しての安全強化がなされた時でした。
ちょうどこの2・3年前(私が中学時代)にはCB750が発売されて、GT380,500SS(マッハV)、GT750と大型、高性能バイクのオンパレードでした。
そんな訳で私はなぜかこのXL125がMr.Bike(創刊号)に載っていて欲しくて最初の足以外で動く道具を手に入れた訳です。
ここからがどこへでも自分が思うとおりに行ける事になり高校生にも関わらず富士一周、北海道一周(計画倒れ)、能登半島一周(写真)をユースホステルに泊まりながら計画して友達とツーリングしたりしました。
高校卒業で東京の学校へ通うようになると車の免許はあるのですがとても車を持つ事はできないので、及び、バイク熱がではじめて、上野のバイク街へ入り浸ります。
そこで当時でもプレミアムの付いていたCB400FOURが中古でおいてありました。
しかも408cc版です。 このバイクは当時カフェレーサーと言われ、4in1のマフラーが人気でした。 新車が35万位の時に新車より高い38万でした。 当時、夜、新橋の居酒屋でバイトしていた事もあり貧乏でもありながら思い切ってローン組んで買ってしまいました。
それから毎日の学校の通学の他、湘南、三浦、房総等よく走りました。
それから学校卒業して車を購入する事になるとバイクも売ってバイク無し生活が始まります。
バイクはアパート生活という事もあり持つことが難しかったので楽しみは車に走ります。 最初は出たてのブルーバードターボ、そしてトレノ(AE86)を購入し改造してダートトライアルのレースにも出ていました。 そして家族が増えるとランクルを3世代乗り継いでアウトドアの道具としていました。 そのなかでやはりバイクは乗りたい病がではじめて定期的に友人のバイクでツーリングへ出かけたりタンデムで出かけたりします。 また写真のようなATCでダートを走ったりと楽しみます。
基本的に私はオフロードが好きなんですね。
よく河川敷にあるモトクロスコースへバイクもって行ってコースを走っていました。
ツーリングも林道を走るために出かける事もよくありました。
そして、子供が大きくなり長男の高校進学と同時に実家(群馬)へ戻り、友達の影響もあり及びバイク購入へ気持ちが動いていきます。 当時のバイクの種類をほとんど分かっていない私は雑誌で調べます。 その中で今までも考えていなかったBMWのF650GSが凄く新鮮でオフロードマシンとしての魅力を感じました。 「よしこれだ!」と決めてこれを乗るために大型二輪免許取得に出かけました。 免許は非常に楽しく今まで乗れなかったCB750に乗れます。 凄く楽しめました。
スムーズにオーバーもなく規定で卒業できて直ぐに近くのBMW店(ヤナセオート)に友達と行きました。
すると一番目に付いたのがシルバーのR1150Rの新古車でした。 F650GSを購入しに行ったのになぜかボクサーエンジンのロードスターを迷ったあげく購入してしまいました。 やはりそれはボクサーエンジンの独特な魅力にあったと思います。
そして現在はR1150Rを車検まで2年、2万キロ走りこの度、2007年1月より現在のR1200GSを買って現在に至っております。 * 当時の写真の乏しさに幻滅。。 リターンライダー万歳!
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釣り
アウトドア
キャンプ |
車のダートトライアルも結婚と同時に資金難にもなり断念し、結婚後は自然に対して興味が倍増した形となり、この時は家族を無視?できないので一緒に始められるオートキャンプを始めました。
最初は妻と結婚する前に始まり結婚してから子供が生まれる頃には大所帯?のオートキャンプになりました。 キャンプを行うと次にまた行くまでに道具が増えているという日が続きました。
ほんとは不便な非日常を楽しんでいるのですがオートキャンプブームの影響でどんどん便利になっていくのでした。
子供に自然とキャンプを教えると言う口実でしたが、実は自分が一番楽しんでいたんですね。
そして最近では子供が大きくなったせいか親と遊ぶより友達が第一なのでしょうね。 めったに家族でキャンプする事はなくなりました。
釣りについては時間があれば一人で車で出かけたりしていました。
釣り事態は子供の頃から裏にあった川へいつも鮒を釣りに行っていました。 それが昂じて25歳位から渓流にエサ釣りに行ったり、ルアー釣りを管理釣り場でやったりとしていました。 そして30歳になった頃には難しいとやらなかったフライフィッシングを始めました。 フライフィッシングは自分でエサとなる疑似餌を鳥の羽を巻いてつくったりととても奥深い釣りでした。 釣れた時の感激から未だにハマっています。 お金もかかる釣りですね。
釣りが昂じて同じ会社で山釣りをやっている方と一緒に沢登り兼渓流釣りに行く事になりました。
それがいきなり今や世界遺産になった「白神山地」でした。 家から10時間近い場所へ4人位で車の運転を交代しながら行きます。 着いて直ぐにリュックにテント、食料等を入れて20k以上になる荷物を背負って川を歩いて時には崖を這い登って行きます。
最初は落ちた事を考えて怖くてしょうがなかった事を覚えています。 それが不思議なもんで今では楽しみに変わっているんですね。
一緒に行っている人はエベレスト歴のある大ベテランなので安心してついていけるんではないかと思います。 単独は怖いですね。
我々は世界遺産になる前の今から20年前から白神山地の赤石川や追良瀬川に入っています。 当時は魚も釣っても良かったし、焚き火もしても良かったです。 今や国連が管理するという名目で釣りも焚き火も禁止になってしまいました。 今では入山許可を出して必ず行くようになりましたが、なんだか寂しいような気がします。
白神山地以外の渓流にもたまには新潟、山形方面へも出かけますが白神山地は毎年9月の連休の恒例行事になっています。
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